「ほら、呼んでみてよ」
楽しそうに、彼が微笑んだ。
要求されたことは、それほど難しいことではないはずなのに、口に出すのが躊躇われた。
「あ、の……」
意味のない言葉が滑り出す。
オドオドとする自分を見て、彼はさらに面白くなったようで、「ほらほら」と急かしはじめた。
「あの、困ります」
自分の身体と彼の身体の間に壁を作るように両手を胸の高さまであげる。
乗り出し気味だった彼の身体がその手のひらの三センチくらいのところで止まった。
「何が困るというんだ。簡単なことじゃないか」
「簡単といいますが……」
そうなのだ。言われると簡単なことなのに。それでも、僕は。
「俺はできるよ。テツヤ。ほら、俺のことも名前で呼んでごらんよ」
「だ、だから赤司君……」
「征十郎」
「いえ、だからあの」
「聞きわけがない子だね、テツヤ」
「赤司君が無茶振りなんです。あと、なんで僕を下の名前で呼ぶんですか」
赤司君が僕の名前を呼んだ。それだけのことなのに。いつものように「黒子」と呼ばないことに違和感を感じるのか、身体が火照る。やめて欲しい。わけがわからないから困ってしまう。
「呼びたかったからだよ。青峰だって、お前のことを下の名前で呼んでいるだろう?」
今更驚くことでもないだろうに、と赤司君は乗り出した身体を元に戻して背後に両手をついて仰向く。
「……青峰君は最初からでしたから」
青峰君は「テツ」と最初から呼んでいたので意識したことなどなかった。なのに、赤司君が自分の名前を呼ぶと、どこか魔法にかかったような、そんな気がする。
「赤司君に言われると、なんだか、恥ずかしいです」
「ははっ。名前を呼んでいるだけなのに? 大袈裟だね、テツヤ」
「だから、名前で呼ぶのやめてください」
「いいや、やめないよ。テツヤの反応が面白いからね」
「僕だけだとなんだか不思議すぎます」
どうにかと理由をつけてやめさせたかった。けれど、相手は上手だった。
「じゃあ、みんな名前で呼んでしまおうか。涼太、大輝、真太郎、敦って。うん、そうしようかな」
「それは……」
「もう決めたからね。これからはみんなを名前で呼ぶことにするよ。だから、諦めることだね、テツヤ」
『ずくん』
心が悲鳴を上げた。
でも僕は、それに気がつかないフリをして。
「赤司君には敵いませんね」
「僕が勝つのは当たり前だからね」
意地を張るように、苗字で呼ぶことを通して。
そして、僕たちは別れた。
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- 僕の名前。(赤黒)
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